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このままだと大水害が頻発する

─遊水地増設など総合治水への転換が急務─

中山敏則

今年10月、台風19号と21号が東日本各地に甚大な水害をもたらした。 ここ数年、大規模な豪雨災害が多発している。河川の堤防決壊や氾濫がひんぱんに発生している。大水害多発時代の到来である。台風19、21号による深刻な水害は、これまでの治水対策の限界をはっきり示した。ダム・河道整備偏重から総合治水への転換が急務となっている。

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◆水を治めるものは天下を治める

「水を治めるものは天下を治める」という言葉がある。戦国時代の名将とされる武田信玄や徳川家康などは治水対策もすぐれていた。たとえば家康である。利根川の洪水が江戸におよぶのを防ぐため、家康は利根川の治水対策に力を入れた。その柱となったのは、広大な面積をもつ中条(ちゅうじょう)遊水地だ。遊水地は、洪水時に河川の水を流入させて一時的に貯める土地である。

中条遊水地は現在の埼玉県熊谷市付近にあった。遊水地の面積(洪水氾濫許容面積)は約50km2といわれる。遊水地の下流部には中条堤が築かれた。中条堤の長さは約4km、高さは5mぐらいだ。

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徳川家康がつくらせた中条堤。江戸時代は右側が巨大な遊水地となっていた=2012年11月撮影

中条遊水地と中条堤は、江戸時代において利根川の治水対策の要(かなめ)となっていた。利根川の洪水を中条遊水地に湛水させ、下流側を洪水の被害から守る。江戸260年の繁栄は中条堤と中条遊水地によって支えられていたといっても過言ではない。

中条遊水地は明治期、利根川の連続堤防整備にともなって廃止された。近代土木技術を過信した明治政府が廃止したのである。1947(昭和22)年のカスリーン台風による東京の甚大な洪水被害は、中条遊水地があれば防げたのではないか。

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武田信玄も、大氾濫をくりかえしていた釜無川を合理的な方法で治め、洪水被害を抑えた。霞堤(かすみてい)を築くなど、さまざまな手段を用いることによって洪水の流れをコントロールした。霞堤は、堤防に切り込みをつくり、増水した川の水を湿地や田んぼ、遊水池に流れだすようにしたものだ。切り込みが斜めになっているので、雨がやめば、川の外に分散した水はふたたびもとの川にもどる。

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山梨県甲斐市にある信玄堤公園にいけばそうした手法がよくわかる。信玄は「決壊しない堤防」をつくりあげた。こんな対策も講じた。住居の多い川の左側は堤防で防ぎ、右岸は堤防を築かないであふれるようにする。堤防工事で立ち退いた住民は一生無税にする──。

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信玄堤。山梨県甲斐市の信玄堤公園に行くと、武田信玄のすぐれた治水対策がよくわかる。右は釜無川=2019年10月撮影

このように、かつての日本では治水が治世の根幹となっていた。ところが、いまの日本の為政者は治水事業を利権の対象にしている。“金食い虫”の巨大ダムを推進である。だが、ダムは治水にあまり役だたない。むしろ豪雨時にダムにたまった水を緊急放流するため、下流部で深刻な洪水被害をひきおこす。それはなんども実証されている。

◆堤防強化を叫ぶだけではダメ

新聞や雑誌では、堤防強化偏重論があいかわらず幅をきかせている。市民団体もおなじだ。だが、堤防強化だけを叫ぶのは現実的ではない。越流時などに決壊する恐れのある堤防は無数にある。日本の河川堤防は、経済性や施行性、耐久性などから土盛りが原則となっているからだ(河川管理施設等構造令)。何十キロも続く河川堤防の1カ所でも弱点があれば、洪水時に破堤する。日本にある河川の河川数と総延長をみると、一級河川は1万4065河川、8万8100km、二級河川は7081河川、3万5870kmである(2017年4月30日現在)。それらの堤防のすべてを鋼矢板の打ちこみなどによって強化するのは絶対に不可能である。

たとえば台風19号で決壊した千曲川の堤防である。決壊したのは長野市穂保地区の千曲川左岸の堤防だ。ここは1984年に完成し、2007年に堤防の幅を7mから2倍超の17mに広げたばかりだった。それでも決壊したのである。堤防決壊で甚大な被害をうけた長野市長沼地区の住民自治協議会会長、柳見沢宏さんは「堤防への過信があった」とのべている(『朝日新聞』11月12日)。

千葉県も、台風21号による記録的大雨で河川が氾濫し、多くの犠牲者がでた。茂原市では、一宮川やその支流の豊田川、鶴枝川、梅田川、小中川の計14カ所で水があふれ、住宅地などが広範囲に浸水した。破堤しないのに氾濫した。茂原市では甚大な水害がなんども発生している。そのため、県は40年以上前から一宮川などの堤防改修や河道拡幅などをすすめてきた。それでも氾濫したのである。

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一宮川に設けられた遊水地「鶴枝遊水公園」。野鳥観察会も開かれている=千葉県茂原市、2019年1月撮影

今年10月の台風21号ではじめて床上浸水の被害をうけた茂原市民はいう。

「これまで経験したことのない猛烈な豪雨だった。このような豪雨に襲われると、堤防強化などの河川改修では水害を防ぐことができない。茂原市には調節池(遊水地)が3カ所つくられているが、どれもすぐ満杯になった。調節池をもっと増やしてほしい」

堤防をいくら強化しても内水氾濫はくいとめられない。今秋の台風では、内水氾濫も各地で発生した。内水氾濫は、堤防から水があふれなくても、排水溝や下水道などの排水能力を超えたり、堤防内側の小規模河川があふれたりして、建物や土地、道路などが浸水する現象だ。

堤防やダムなどの構造物に依存しすぎることなく、流域全体を考慮した総合治水対策を積極的にすすめるべき──。これが現実的な政策だ。武田信玄や徳川家康など戦国武将の治水対策に学べ、ということである。

ダム重視と堤防偏重は近代土木技術の過信という点で共通している。信玄も家康も、洪水を河道に押しこめるやり方では洪水被害を防げないことを経験的に知っていた。

◆総合治水をめぐって

総合治水対策が生まれたいきさつはこうだ。1974(昭和49)年に多摩川、75年石狩川、76年長良川と、とくに重要とされる河川の堤防決壊が相次いだ。同じ時期、都市河川でも水害が激化した。また、各地で水害訴訟が頻発した。こうした状況下において、建設省(現国交省)は河川審議会に総合治水対策小委員会を設け、水害対策を検討させた。「総合治水」としたのは、河川改修のみでは都市水害を押えこむことはできない。治水は流域を含む広範な区域を対象とし、総合的であるべき、ということを河川行政側も痛感したからである。これを受けて、河川審議会は1977年6月10日、「総合的な治水対策の推進方策についての中間答申」を発表した。

総合治水対策というのは、堤防強化、放水路・分水路の建設など河道の治水施設の整備だけでなく、全流域を考慮した治水である。流域における対策には、遊水地(調節池)の整備、雨水貯留施設の設置、透水性舗装の推進、各戸貯留の奨励、盛土の抑制のほか、水害に安全な土地利用なども含まれる。

ところがその後、建設省の河川官僚は総合治水の推進を特定の都市の中小河川に限定してしまった。ダム建設と堤防整備を重点とする治水対策を継続したのである。その結果、記録的な大雨が降るたびに堤防が決壊したり氾濫が起きたりして甚大な被害が発生しつづけている。

◆ダム・堤防偏重では想定外の大洪水に対応できない

河川審議会が総合治水対策の推進を発表したとき、河川工学者の高橋裕さん(東京大学名誉教授)は審議会の専門委員をつとめた。高橋さんは総合治水対策への転換をこう強調する。

「治水計画にとって重要なのは、計画対象を越える、いわゆる『超過洪水』の場合への対応である。超過洪水への対応として、より強大な堤防やダムなどの構造物を軽々に計画すべきではない。莫大な工事費が財政を圧迫することに加えて、そのような巨大で堅固な構造物が建設されると、住民は安心し切って、治水の安全性の向上を前提に新たな地域計画が作成される。しかし、治水施設は万能ではありえない。その構造物が洪水に耐えられなかった場合、大悲劇を招くことになる」(高橋裕『川と国土の危機』岩波新書)

台風19、21号による大規模な洪水被害は、「超過洪水」への対応をおろそかにしたことが大きな原因である。ダム建設や堤防整備を偏重する治水対策は、想定外の大洪水には対応できない。

◆住民参加の総合治水対策で水害を激減させた真間川流域

大洪水による堤防決壊や越水、内水氾濫などを防ぐためには、総合治水対策を推進することが必要だ。千葉県市川市を流れる真間川の流域ではたいへんすぐれた総合治水対策が実施されている。これは住民運動によって実現した。

真間川ではかつて、約360本の桜並木を河川改修工事で伐採するという計画がもちあがった。住民は「真間川の桜並木を守る市民の会」を結成し、対案を示して桜並木の保存を訴えた。対案というのは、「河川を改修しても水害を防ぐことはできない。遊水地や雨水貯留施設の整備などを含めた総合治水対策をすすめるべき」というものだ。

長年にわたるねばり強い運動の結果、県は、真間川流域の治水対策を河川改修一辺倒から総合治水に方針転換した。約360本の桜並木は半分が残され、残り半分は河川改修後に復元された。遊水地や分水路、雨水貯留施設の整備などがすすんだ。住民も、雨水の貯留・浸透による流出抑制に協力した。

その結果、真間川流域の浸水被害は激減した。真間川流域は1981(昭和56)年、台風24号による豪雨で大きな浸水被害が発生した。その後三十数年間で世帯数は1.7倍に増えた。だが総合治水対策を推進した結果、浸水被害は徐々に減少した。1996年以降は、下流域の中心市街地における浸水被害はおおむね解消された。総合治水対策の成果である。真間川流域では、「自然環境の保全・復元」や「動植物に触れ合える環境学習の場」を兼ねた調節池(遊水地)づくりも住民参加ですすんでいる。

◆台風19号で遊水地が大きな効果

台風19号では、遊水地が浸水被害の防止や軽減に効果を発揮した。たとえば横浜市の鶴見川多目的遊水地である。これは鶴見川に隣接する横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の地下に設けられている。総貯水量は390万m3だ。

この遊水地は、鶴見川の水かさが増すと、高さを抑えた越流堤を越えて水が流入するしくみになっている。記録的大雨となった台風19号のさいは、遊水地に94万m3の水が流れこんだ。過去3番目の貯水量である。国交省京浜河川事務所は「鶴見川の水位を30センチほど下げる効果があった」としている。遊水地が

なかったなら氾濫危険水位(6.8m)を超えていたと推定されている。横浜国際総合競技場では、台風19号通過直後の10月13日にラグビー・ワールドカップの日本対スコットランド戦がおこなわれた。

利根川に設けられた4つの調節池(遊水地)も大きな治水効果を発揮した。渡良瀬遊水地、菅生調節池、稲戸井調節池、田中調節池である。台風19号のさいは、この4つで過去最大となる合計約2.5億m3(東京ドーム約200杯)の洪水を貯留し、首都圏の洪水被害防止に貢献した。

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田中調節池(千葉県の柏市、我孫子市)は、ふだんは優良農地として利用されていて、大洪水のときだけ湛水するようになっている。武田信玄が用いた治水の現代版だ。

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田中調節池。ふだんは優良農地として利用されていて、湛水すると所有者に保険金が支払われる=2012年4月撮

遊水地を全国各地で増やすことが必要である。耕作放棄地や休耕田が増えているので、これらを活用するのもひとつの方法だ。もちろん、きちんと補償することが前提となる。

高橋裕さん(前出)もこう指摘する。

「従来は考えられていなかった治水方策として、農地や休耕田などを一種の遊水地とする方法がある。その気で探せば全国に遊水地候補地はかなり多く存在する。全国には現在、総計28.4万ヘクタール、すなわちほぼ神奈川県以上の面積に相当する耕作放棄地がある。個々の土地は小面積とはいえ、小河川の洪水にはかなりの貯溜効果を期待できる。近年、局地的集中豪雨が頻発傾向にあるので、もしその土地が河道近くにあれば有望である。しかも、耕作放棄地は増加傾向にある」(高橋裕『川と国土の危機』岩波新書)

◆「遊水地をつくったらダムはいらん」

国交省の河川官僚も、ダムより遊水地のほうが治水効果が大きいことを認識しているという。国交省河川局に多数の教え子をもつ今本博健さん(京都大学名誉教授、河川工学)は書いている。

「大学の同輩である前田武志君(現民主党参議院議員)が建設省に入省して、栃木県の渡良瀬遊水地に赴任したのですが、その前田君も『遊水地をつくったら八ッ場ダムはいらんやないかという話が、その当時から仲間内では出ていた』と言っていました。このように『八ッ場ダムは必要ない』と国交省自身が30年以上前からうすうす気づいていたにもかかわらず、建設を強行したんです。真実を知っていながら方向転換をしなかった。罪深いですね」(今本博健ほか『ダムが国を滅ぼす』扶桑社)

ようするに、ダム建設をやめて遊水地整備に力を入れたらゼネコンや建設族議員が潤わない。だから、効果が小さいとわかっていてもダム建設をすすめる。総合治水対策もごく一部の流域でしか採用しない、ということである。愚劣としかいいようがない。

こんなやり方をつづけたら、記録的な豪雨が発生するたびに深刻な被害が生じる。戦国武将の治水対策や真間川の総合治水対策を見習え、と言いたい。

JAWAN加盟の千葉県自然保護連合と千葉県野鳥の会は12月13日、遊水地を兼ねた湿地の増加など総合治水対策の推進を求めて千葉県の河川整備課などと話しあう。

(JAWAN通信 No.129 2019年11月30日発行から転載)

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