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ラムサール条約COP11参加報告(事務局伊藤)

■ラムサール条約第11回締約国会議(COP11)へ参加した。ル−マニア・ブカレストで開かれ、開催期間は、7月6(金)日〜13日(金)である。
関西空港から5日、出発し、アムステルダム経由で6日、ブカレストの会場へ着いた。6日は17:00より開会式へ参加、引き続き歓迎レセプションに参加した。
6人の方に「湿地保全賞」が授与され、日本の辻井達一(現日本国際湿地保全連合会長)博士が科学部門で受賞。条約の創設者のひとりであるルック・ホフマン博士が名誉賞を受賞(JAWAN通信101号参照)。彼が退場する際には、会場の参加者が立ちあがって拍手。
9日まで本会議を傍聴し、会議途中ではありましたが、10日、アンリ・コアンダ空港を発ち帰国しました。


国民の館全景

(1)会議場の全景
巨大な建造物です。かつてチャウシェスク大統領が約1500億円を投じて完成をめざした。宮殿部屋数は3107もある。アメリカ・ペンタゴンに次ぐ世界第二の規模という。国威発揚のための建物であることを感じます。
建物裏側(表側かもしれませんが)は、行政や政党の施設として使用され、ラムサールCOP11の会場としての使用範囲は、1階と2階のごくごく一部のようです。


国民の館会場入口

(2)COP11会場の入り口
入り口には赤いジュウタンが敷かれ、自動ドアが二重にあり、中でセキュリティチェックが待っていた。


建物の入り口から眺望

(3)建物の入り口から、街を見ると大きな道路が前方へ延びています。8km先mであり、中間4kmあたりに噴水群が見えます。でも、道を歩くと、さびしげな商店が多く、人通りもごくわずかでした。
噴水の左手地区には旧宮殿などが残っていて、にぎやかな人出があり、銀行や商店、道路前には食事のお店が多数張りだしていました。


国民の館内部の一部

(4)会議場内は、立派な装飾がほどこされ、本当に宮殿の中にいる感じでした。でも、会議の中身が肝心ですね。




(5)小林聡史さんのレポート(ラムサールCOP11報告(前半)をぜひ目を通していただけますか。小林さんのラムサール条約第11回締約国会議報告(前半)より転載します。

 ルーマニア、ブカレストの小林です。東ヨーロッパにおける初めてのラムサールCOPが先週から始まっています。今日月曜日は、ちょうど半分終わった形になりますので、簡単な報告をします。

●7月6日(金曜日)

 地域会合等が行われた後、夕方から「開会式」が始まりました。
湿地保全賞の授与が行われ、日本人からは二人目となる辻井達一(現日本国際湿地保全連合会長)博士が科学部門で受賞。他には条約の父のひとりであるルック・ホフマン博士が名誉賞を受賞。ホフマン博士はWWFの創設者の一人でもありますが、そもそもヨーロッパでWWFが創られたきっかけはスペインのドニャーナ湿地(国立公園)を国際的に保全しようという動きからでした。彼が退場する際には、会場の参加者が総立ちになって拍手しました。

辻井達一氏表彰
辻井達一氏表彰
ルック・ホフマン博士へ立ちあがって拍手
ルック・ホフマン博士へ立ちあがって拍手

●7月7日(土曜日)

 前回のCOP主催地である韓国代表が最初議長を務め、これまでどおり開催国政府から議長が選出されました。会議の運用規則等事務的な手続きが進む中、午前中の最後には条約の科学技術検討委員会(STRP)の議長ヘザー女史からの報告がありました。
 前回COP10に末娘8歳を連れて参加していたということで、最初にCOP10会議場の前で撮影された娘さんの写真を出しました。
 おかあさんはどんな業務に関わっているのか知ってもらおうと、会議の最後の方で数時間だけ、末娘に会場後ろの方で聴いていてもらったんだそうです。そして、韓国からの帰りの飛行機で会議はどうだったと尋ねると、「湿地保全の大事さは何となくわかったんだけど、私が大人になったらほとんど湿地が残されていないんじゃないかと心配になっちゃった」と娘さんが言ったんだそうです。
 「なんだか湿地の保全というのは、あまりにもゆっくりとしか進まさそうな調子だったし...」と続けられて、COP10が実り多い会議だったと思っていたヘザーさんは、言い返すことができなかったんだそうだ。子供恐るべしですね。

 そして、この日の昼休み【サイドイベント】として「日本、タイ、ベトナム、ミャンマーの新条約湿地登録を祝う記念式典」が開催されました。

全員認定授与式
全員認定授与式

 前回のCOP10では事務局次長による認定書授与でしたが、今回はアナダ事務局長が参加してくれました。
 彼のオープニングスピーチは、2010年に名古屋で開催された生物多様性条約COP10に参加した時の印象から始まりました。名古屋の後、東京で条約湿地を推進する議員連盟に会った話をしました。国会議員がラムサール条約を促進しているのは世界でも日本ぐらいだろうとのことです。
 新しい条約湿地関係市町村からは、豊岡市長や敦賀市長はじめ、皆さん英語でプレゼンをしてくださいました。市長になったときにはまさかこんな汗だく試練(?)が待っているとは思わなかったのではないでしょうか。これを機会に、新しいステップを踏み出していただきたいものです。渡良瀬遊水地では地元の方から、田中正造にも言及したプレゼンがされて、よかった、よかった。

 この日の午後は、ラムサール条約CEPAに関する総括、事務局長による世界的な成果の報告がされました。前回のCOPからこの間に条約湿地の数が2000を超え、加盟国もブータンなどが加わって162カ国になっています。

●7月8日(日曜日)

 いよいよ会議の中心である決議案の検討開始です。
 決議案1は事務的な話ではあるのですが、ラムサール条約の将来に関わる重大な決議につながるものです。ラムサール条約事務局は創設にも関わったIUCN(国際自然保護連合)本部の中にあり、諸手続に関してもIUCNのシステムを利用させてもらっています。
 一方、生物多様性条約はじめ、ワシントン条約(CITES)、世界遺産条約などはいずれも国連UNEPの管理下です。今回は事前の常設委員会でも提案を一つに絞れなかったと見えて、プラン1(IUCNを継続する)とプラン2(UNEPに引っ越す)の2案併記での提案となりました。
 私の知る限り、ラムサール条約の歴史でも初めてのことです。案の定、IUCN派とUNEP派と議論は真っ二つに分かれ、合意形成は暗礁に乗り上げました。議長からあくまで最終提案を考えるための参考にするためと、どちらの賛成派が多いか、カウントすることになりました。

7月8日賛否の意向を打診
7月8日賛否の意向を打診

 これ自体が昨日議論したCOPの運用規則に明記されていないじゃないかと指摘されると、今度はカウントに賛成か反対かも多数決にしようと、半ば強引に議長提案を通す形になりました。数の上ではIUCN派が多かったのですが、過半数には至らず、またこの議事進行自体が無効にすべきと異議もあり、再び暗礁に。時間内にまとまらず、水面下の議論に期待を託す形となりました。

●7月9日(月曜日)

 議長と議長をサポートした条約事務局から、昨日のやり方は強引すぎたかも知れないと謝罪から始まる本会議となりました。

7月9日条約事務局の説明
7月9日条約事務局の説明

まだ意見を述べていない締約国政府代表にも意見を言ってもらうことになり、言わば延々とIUCN、UNEP、IUCN....という発言を聞かされることになりました。意見が一通り出終わった後、それらをもとに再び議長案を検討することにして、決議案1の議論は持ち越しになりました。
 昨日と今日、決議案1以外の案も少しずつ検討をしなければと、この日は結局、21ある決議案のうち、決議案2〜7と決議案14が提案され、各国政府代表や国際NGOパートナーからの修正案が続きました。
 例えば、多国間環境協定との協働に関する決議案6では、バードライフ・インターナショナルから修正案が出され、「黄海をはじめとする東アジア、東南アジアの干潟保全に関する」文言追加が呼びかけられました。提案された文言自体への反対ではなかったのですが、この決議案の性格からして少し具体的すぎるのではと中国政府代表から発言があり、再検討されることになりそうです。

 というわけで、全8日間の日程中半分が終了したといっても、議論はまだ序の口です。後半の仕切り直しがどうなるか、水面下の折衝については書けないことも多いのですが、続きは本会議全日程が終了後にしたいと思います。
(興味のありそうな方がいましたら転載自由です。文責はあくまで個人の小林にあります。)


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