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干潟と海を守る想像力

宇田川飛鳥 (慶應義塾大学社会学研究科博士課程)

1.セマングム干拓反対の砦

 韓国西海の干潟に生きる人びとについて伝えたいと思う。始華湖干拓、セマングム干拓、李明博政権以降は「四大河川計画」の問題を伝えるため、韓国NGOがたびたび、日本を訪れ、また日本のNGOも韓国の現場を視察してきた。
 私は、韓国の干潟の社会と文化を学ぶ1人として知り得た情報を伝えることで、今後の日韓の湿地保全の一助になればと考え、この文章を書いている。
 セマングム干拓反対運動の「最後の砦」と呼ばれる地域がある。扶安郡の界火里(ケファリ)であるが、そこは何故「反対の最後の砦」となったのだろうか。セマングム干拓は三つの市郡にまたがる。北に位置する郡山市は工業都市に転換しつつあり、その南、金堤市は農業地帯である。海に防潮堤を建設することで、最も被害を受けたのが漁業の盛んな扶安郡であった。
 また、2003 年には、この扶安郡の離島、蝟島に核廃棄物処分場の誘致計画が持ち上がったが、扶安郡の人びとは郡内やソウルで反対運動を行い、原発計画を白紙化させた。自分たちの生活環境・自然環境を守ることへの強い意志と行動は、こうした経緯を土壌としている。
 とりわけ、界火は1960 年代後半に干拓事業が行われ陸続きとなり、界火“島”(ケファド)から界火“ 里” になった歴史がある。
 だからこそ、2度目の干拓事業であるセマングム干拓反対に立ち上がったのである。

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防潮堤前で海上デモ

2.暮らしを襲う干拓工事

 朝鮮半島の沿岸を歩いてみれば、豊かな文化や暮らしに出会うことができる。韓国といえば儒教社会であり、年長者と年少者の区別や男女の役割が、明確に決まっている社会と言われている。けれども、界火では違った側面を見ることができる。
 例えば、界火の子ども達は朝、自分で食卓におかずを並べ朝食をとり登校する。外地から赴任してきた小学校の先生たちは、他では見られない姿と感心する。界火では朝早く夫婦がそろって海に出る。子どもたちは、お母さんがいなくても自分で出来る習慣がついているのである。
 また、界火の男性たちは料理ができる。何故なら、船上でチゲを作ったり、揚がった魚を捌いたりしているからである。女性たちも海仕事が上手く、自分の腕で子どもを養ってきたという自負がある。村の会館に集まっているおばあさん達の話題も、気づけば最近揚がっている魚や貝の話である。海と干潟は、ここに住む住民にとって仕事場であり、遊び場であり、生活の場なのである。
 2001 年、干拓工事が始まるが、干拓計画を聞かされ漁業補償が行われた1990 年代、干拓事業によって何を得、何を失うのか、それを完全に理解していた人間は誰もいなかったはずだ。
 地元住民も、セマングム公社も、政府も、国民も。工事が始まって様ざまな異変が生じ、やっとその間違いに気づいたのである。
 海洋汚染、渡り鳥の減少や貝類の死滅が報告された。もちろん、漁に出る地元の住民たちも気づいた。海の色、臭い、何より漁獲物の種類と量が変わった。セマングム海域の海水を見ると、その色は美しく見える。
 けれども漁師に言わせると、船上から見たらきれいだけれど、網を落とすと下はヘドロになっていて生き物が棲んでいない。防潮堤のせいで海水が流動せず、海底で網がヘドロにつっかかってしまう。引上げても泥と貝殻だけなのである。
 貝殻ばかりを積んだトラックが界火里を走り、水産所に到着する。漁師や待機していた人びとの、諦めと怒りと困惑に満ちた表情に、私はかける言葉がない。
 海の異変は、漁村の生活を直撃する。家で待つ子どもたちは、収入の減少や親が窮地に追い込まれていることを察する力がある。漁業を続けるべきか、他所へ引っ越すべきか右往左往する大人たちの苛立ちは、子どもたちにも伝わってしまう。
 この海の異変を解決するには防潮堤を取り払うしかない。せめて水門を開き、海を元に戻してほしい。その思いで住民は干拓反対を続けてきた。韓国のNGOが背負ってきたのは、そうした沿岸住民の生活であった。
 しかし、今年2010 年4月27 日、セマングムの巨大防潮堤は完全に封鎖され「完成」を祝う完工式が行われた。くしくも前日、日本では諫早湾が長期開門の最終協議へ向かったことが報道されていた。

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扶安郡界火里の前海

3.干潟を守る想像力

 私は、韓国で湿地保全に取り組む人びとの話を聞き、また海や干潟で生業を営む人たちの暮らしを学んできた。でも、まだ分からないことがある。
 それは誰がどう見ても危険な、そして地元にも、国のためにもならないセマングム干拓が続いていることである。干拓事業は走り出すと巨額の資金が投入される。政府はそれを回収しなければならない。だから止めることができないのだろうか。
 ここで少し、視点を飛ばしたい。2009 年3 月、遠くアフリカのマダガスカル共和国でクーデターが起こった。その発端は韓国企業の大宇ロジスティクスがマダガスカル政府とこの先99 年間、国の全耕地面積の半分にあたる130 万ha の土地を無償で借りるという契約を結んだことだった。
 韓国は土地不足なのだろうか。いや、一方でセマングム干拓によって造成される土地と建物には、中東をはじめとした外国資本が入るという。現に街では「ドバイ」と書かれたカフェまで登場した。つまり、資本や政治力を持つ強い国(地域)が、弱い国(地域)の生活・自然環境を奪い、奪われた者は、さらに弱い立場の者の資源を奪う。こうした負の連鎖が国内のみにとどまらず、世界規模で行われている。
 こうした現実に直面した時、干拓を止めるために闘う、姿のない相手の巨大さに愕然とする。しかし、そこでひるまない為には、アジアをはじめ多くの国や地域、多種多様な関係者と連携していかなければならないのだろう。
 その時、必要なのは相手の抱える現状、問題や立場への想像力ではないかと思う。歴史や文化の違いを超えて、これまで日韓の湿地保全NGOが協力関係を続けてこられたのは、きっとこの「干潟を守るための想像力」があったからだと私は思っている。

  グーグルアース
界火里(北西)1960 年代の干拓で陸続きとなった
(JAWAN通信 No.98 2010年12月10日発行から転載)

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