ラムサール条約湿地 佐潟(SAKATA)
〜生活の糧として地域住民に守られてきた湿地〜

風間善浩 NPO法人新潟水辺の会世話人

佐潟〜国内最大級の砂丘湖〜

 佐潟は新潟市西区の南西に位置し、海岸線と並行に走る砂丘列間の窪地に形成された国内最大級の砂丘湖です。大小2つの潟から成り立ち、三方に囲まれた砂丘地からの湧水や雨水によって涵養されている淡水湖です。東の越後平野には広大な水田が広がり、西に角田山、多宝山、弥彦山や時折、砂丘越しの遠方に佐渡ヶ島の山並みも望むことができます。潟の周辺の砂丘斜面ではスイカ、ダイコン、タバコなどの砂丘地農業が盛んに行われています。潟は湿地特有の生態系を残しており、夏は北限に近いオニバス(スイレン科)の生育地として、冬には毎年3,000羽を超えるハクチョウの他、ヒシクイやガンカモ類の集団渡来地としても知られています。また、佐潟は厳冬期でも全面結氷がほとんどないことから、気象条件によって近隣の湖沼に渡来している渡り鳥の緊急避難場所としての役割もはたしています。この地域は、佐渡・弥彦・米山国定公園第三種特別地域に指定され、開発などは厳しく制限されています。また、日本有数のハクチョウの渡来地として重要な湿地であり国指定佐潟鳥獣保護区(251ha:1981年)に指定されています。

ラムサール条約に登録

 佐潟は、1996年3月COP6オーストラリア・ブリスベン会議で、国内10番目のラムサール条約湿地になりました。コハクチョウの越冬数が毎年3,000羽を超え東アジアの個体群の2〜5%に相当するとして「基準6:水鳥の一種または亜種の個体群において、個体数の1%以上を定期的に支えている場合」が選定基準として採用されています。ラムサール条約湿地面積は76ha、このうち43.6haが水域です。新潟市は条約区域を都市公園として位置づけ管理活用をしながら自然との共生を図っています。そして、2000年5月には「佐潟周辺自然環境保全計画」が策定され、基本的な活用の指針が示されました。計画の策定には、地元代表、地元活動団体、NGOや有識者、行政などを交えた委員会で協議を重ね、佐潟のこれからの保全について方向性を見出しています。(※佐潟周辺自然環境保全計画報告書(改訂版2006)は新潟市のHPからダウンロードできます)

生活に密着してきた佐潟〜先人に学ぶWise Use〜

 戦後の頃まで、佐潟付近を含む越後平野では大きな湿地がたくさんありました。しかし、低地のため洪水が頻繁にあり、水に苦しむ農民等の要望もあり新田開発と共にその姿を消して行きました。周辺の湿地の干拓が進められるなか、昭和40年代前半まで、湖岸は水田として、また潟は灌漑用ため池として活用され、生活に密着し地域住民に守られてきた「佐潟」は唯一開発の手を逃れました。この頃、潟内に「舟道」、そして潟の周辺の水田の間には「ド」と呼ばれる水路が廻らされ、潟と水田をつなぐ移動経路として、あるいは生物の生息場所としての役割を果たしていました。「潟普請」と呼ばれる住民総出の潟底の清掃活動が行われ、潟の底に溜まったドロ(ハスやヒシなどの植物遺骸)を水田に上げて肥料として利用するなど、潟の恵みを受けながら循環型農業が行われていました。しかし、減反政策により潟周辺の水田利用は消え、農地の基盤整備により潟水の利用は徐々になくなっていきました。
 一方、内水面漁業ではコイ、フナ、ウナギなどの漁業が昔から行われており、臭みがなく味が良い「佐潟の鯉」として遠くから買い求める人たちも多かったそうです。また、潟一面のハスはお盆用の花や根茎は漬物の材料などに活用されていました。
 この住民の関わりは、適度な撹乱と多様な自然環境を創出し、結果として佐潟の自然生態系を維持してきたことになり、ラムサール条約の「Wise Use」そのものだと考えられます。これらのことは条約登録後、史実を振り返り先人の営みを参考にした保全活動の基本的な考え方として重要な位置を占めています。現在は、保全活動の一環として潟周辺のクリーン作戦の他、ヨシの刈出しやドロあげ(潟普請)、「ド」の復元も試みられています。活動は地域住民や学校、NGOなどの参加で毎年行われ、それに合わせて、ハスやヒシなど潟の恵みを使った地元料理も振る舞われ人気を呼んでいます。

ラムサール条約登録までのあれこれ

 登録までは地元と行政との協議のため、その内容について新潟市から協力を頂きその状況を記します。
 1994年(平成6年)頃から条約登録まで何回も地元説明会や関係者協議が開催されてきました。その中で、地元関係者からは、登録による規制の強化が心配されました。一例として、「現在行われている農漁業に対する規制」「登録により来訪者の増加による影響」などの他、佐潟では昔から冬にコイ漁で舟を出すことによる水鳥への影響など野鳥愛好者等関係者からの懸念もありました。しかし、登録に関して新しい規制などはなく、以前のままとなんら変わりないということで関係者から一応の理解を得たようです。

「SAKATA?」「SAGATA?」

 登録前には佐潟の呼び名についても議論がありました。地元の赤塚地域では「さかた」、新潟市や周辺地域では「さがた」と呼んでいました。そして、観光PRや農産物販売では「さがた」と使われていることもあり、登録名に関してそれぞれの立場で意見が分かれました。しかし、地元や関係者、行政で協議を重ねた結果、過去の文献に「さかた」と記載されていることや地元で使われている呼び名を尊重し「SAKATA」で登録されることになりました。

佐潟水鳥・湿地センターの役割と佐潟と歩む赤塚の会の発足

 佐潟には多くのステークホルダーが関わっています。当会も佐潟を体験する「ハスとり大会」「あかつか懇話会」の開催や「地元地域学」の運営支援などを行ってきました。登録から暫くは、それぞれの立場で個別の関わりが見られましたが、この頃から将来への心配も出始めました。2001年ペナンで開催されたAWS2001には湿地センターと当会との協働で発表を行い、その中で「佐潟を永続的に守っていくためには、基本は地元、これを応援する形で各団体など関係者の連携や協働が重要」との考えを示しました。その後、2002年には、地元若手有志が中心になり、「佐潟と歩む赤塚の会」が発足され、佐潟の中心団体として保全活動を続けています。毎年7万人を越える来館者数を持つ湿地センターは佐潟と来訪者や各団体をつなぐ拠点としてあるいは情報受発信の基地として重要な役割を果たしています。今後は、保全活動もがんばった分だけ何らかの形で地元に還元され、がんばる人たちにメリットが出るような仕組みづくりが活動を継続させていくことの源だと考えています。活動はなんと言っても継続! 息切れしないように自身が楽しみながら活動を続けて行きたいと思います。

(JAWAN通信 No.92 2008年12月25日発行から転載)


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