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■シンポジウム「日本の湿地を守ろう2018」の報告要旨

仙台市・蒲生干潟と防潮堤

蒲生を守る会 熊谷佳二さん

 7年前の東日本大震災の大津波で蒲生干潟は壊滅的なダメージを被った。しかしその後、私たちの予測をはるかに超える速さで干潟の自然が再生しつつある。そこにまた、防潮堤や石炭火力発電所という開発行為が起きている。
 東日本震災のあと、全国のさまざまなかたから支援や励ましをいただいた。この場をお借りしてお礼申しあげます。
 蒲生干潟は仙台市の郊外にある干潟である。干潟の面積は約5ha、潟湖の面積は約13haと、小さな干潟である。しかし生物多様性の宝庫になっている。国指定鳥獣保護区特別保護地区と宮城県自然環境保全地域に指定されている。
 蒲生干潟はかつて、仙台港の開発ですべてが港になるという計画であった。そこで1970年4月に蒲生を守る会が結成された。反対運動によって蒲生干潟は守られた。しかし、その後も港湾拡張計画などが何度もすすんだ。仙台港を拡張し、干潟そのものはつぶさないが、干潟の沖合を埋め立てるという開発が計画されてきた。守る会はそのような動きにずっと反対してきた。
 2011年3月の大津波で蒲生干潟は壊滅的被害を受けた。地元の新聞は「復元不能」と書いた。しかし、予想を上回る速さで地形が復元し、「沈黙の干潟」に生命がよみがえった。
 海岸や干潟などで生き残ってきた生き物は自然の撹乱(かくらん)には強い。ところが人間がおこなう撹乱には弱い。
 私たちはマスコミの取材や会報、観察会などを通じて、干潟の復活をアピールした。テレビ番組の制作にも協力した。放映された番組は話題となった。やがて新聞記事で干潟の復活がとりあげられ、蒲生干潟は多くの市民を勇気づける存在となった。
 1年後の夏はアカテガニの幼生放出、2年後の春はヤマトカワゴカイの生殖群泳を観察した。渡り鳥の飛来も徐々に回復していった。絶滅が危惧される希少種も数多く観察された。ただし、種による差が大きく、とくに草地や海岸林を生息地とする小鳥類は大きく減少した。あらためて、周囲の自然環境の重要性を認識した。
 そうした状況のなかで、防潮堤の建設がもちあがった。私たちの運動により、宮城県河川課は防潮堤を数十メートル内陸へセットバックする変更案を提出した。しかし、これは干潟と後背地を分断する。私たちはさらに内側にセットバックすることを強く要望したが受け入れられなかった。
 防潮堤内陸側の後背地が仙台市の区画整理事業で工業地域として開発されることも明らかになった。干潟にとって大切な後背地の消失は避けられない事実となった。
 さらに仙台港周辺で3つの火力発電所を建設する計画ももちあがった。2017年10月、石炭火力発電所「仙台パワーステーション」が多くの市民の反対を押し切って操業を開始した。蒲生干潟からわずか800mの距離である。水鳥の楽園、生命の宝庫、蒲生干潟の未来に赤信号が灯っている。
 蒲生干潟は都会の片隅に残った小さな干潟である。ここは鳥たちの楽園、生命の宝庫であり、本当の自然を求めて多くの市民が集まる憩いの場となっている。私たちの運動は、干潟の保護にとどまらず、蒲生の町の真の復興をめざす運動に発展しつつある。

(JAWAN通信 No.123 2018年5月20日発行から転載)

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