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■「天草と辺野古の海を守る 講演会」の講演要旨

御所浦の採石場を見つめつづけて思うこと

熊本県芦北町の漁師 緒方正人さん

 私は芦北町の女島(めしま)で生まれ育ち、いまもそこに住んでいる。芦北町は御所浦島の対岸に位置する。緒方家のルーツは天草の出身である。だから、天草にたいしてはもともと愛着というか、親しみがある。

*採石場沖は好漁場だった

 この50年、御所浦島はものすごい勢いで山が削られてきた。それ以前の自然の姿をみたら、「ここにはもう絶対に手をつけるな」と言いたくなるはずだ。そんなにきれいな、絵はがきに使えそうな風景だった。
 私が小学校5、6年のころ、つまり東京オリンピック開催の前後のころはまだほとんど手がつけられていなかった。きれいなところだった。
 そのあと、採石がすごい勢いですすんだ。対岸にある私の家からは採石の状況がよくみえた。どんどん削られていった。「天草の人たちの背中が削られおる」と思った。「なして怒らんとか」と思った。
 採石がはじまる前の御所浦島は、水俣のほうからみるとお釈迦様の涅槃(ねはん)のようなかたちをしていた。
 私は、御所浦島のすぐ近くの海でタチウオやアジを獲っていた。漁はいまもつづけている。御所浦島の採石場のあるところは、私が漁師として好きな場所である。というのは、ここには潮目(しおめ=速さの違う潮の流れがぶつかりあう場所)ができる。だからプランクトンがよくわく。それをもとめてカタクチイワシやタチウオ、イワシなど、いろいろな魚がやってくる。
 ほんとうは、御所浦島の採石場の沖は不知火海で最も豊かな場所であった。かつて、私はここで何百万円も稼いでいた。ところが、今年はさっぱりである。ほかの漁師もこう言っている。
 「去年あたりからおかしくなった。天草の海域ではよう獲れんようになった」。
 採石場の前面海域は水深が深い。しぜんに深くなっていくのではなく、海岸線から40m、50mといっきに深くなる。深いところは60mを超える。水深が深くて、潮の流れも速い。そういう場所である。
 かつては、ここにアシアカエビ、イシエビ、クルマエビなどがいた。ここは砂地だった。エビは砂地のきれいなところを選ぶ。もともとはヘドロがたまるような海ではなかった。
 ところが最近はエビがだんだん獲れなくなった。不知火海の生産力が弱まっているのは、採石場の問題だけではない。ほかにも原因がいくつかあるとは思っているが。とりわけ採石場付近では、長年獲れていたタチウオがさっぱり獲れなくなった。
 芦北のほうからみると、西日が沈むのは採石場のあたりである。私たちを一日照らし、その帰りに沈む方角が採石場のところである。そのように、夕陽には世話になっている。場所にも恩義がある。漁師だから海にも恩義がある。それで暮らしがなりたってきた。そういう意味では他人事(ひとごと)ではない。採石の状況をみて、わが身を削られるような痛みを覚えてきた。

*自治が踏みにじられている

 〜御所浦、沖縄、水俣病事件〜
 
 2015年12月、沖縄の辺野古に行った。米軍基地建設反対運動に参加するためである。なぜかというと、状況をみていて日本政府や警察や米軍のやり方に腹が立ったからだ。理屈抜きでじっとしておれない気持ちになった。
 辺野古の海を埋め立てて、そこに大きなヘリポート基地や大型船が係留できる岸壁をつくる。その埋め立てに御所浦の石が使われるということは、沖縄に行ってはじめて知った。瀬戸内海や鹿児島などからも辺野古に土砂を持ってくる、と聞いた。天草からも土砂を持ってくる、と書いてあったので、ひょっとしたら御所浦ではないか、と思った。たずねたら、案の定だった。私のなかで御所浦の採石場問題と辺野古の基地建設問題の二つがぴったり重なった。「どぎゃんかして止めんばいかん」と思った。
 そのあと聞いた話では、御所浦では製鋼スラグやヘドロを採石跡に入れているという。二重三重の危険な行為がやられている。私はずっと腹立たしい思いをしてきた。
 御所浦の採石場問題で県や地元県議会議員の対応などをみていると、そこに暮らしている人たちの自治が無視され、踏みにじられている。この点で沖縄と共通している。
 沖縄では、戦後ずっと自治が踏みにじられてきた。これは水俣病事件にもあてはまる。
 水俣病事件は、水俣という地域の自治が踏みにじられた事件である。不知火海周辺の人びとのいのちと暮らしが脅かされてきた。あるいは犠牲にされてきた。それが国策としておこなわれる場合は、とんでもない、めちゃくちゃな状況がつくられてしまう。
 米軍基地建設が予定されている辺野古の大浦湾の海底にはサンゴ礁が広がっている。非常にきれいな湾である。そこを埋め立てようとしている。私は、海を埋め立てること自体に抵抗感がある。申し訳ないという気持ちがある。ましてや米軍基地をつくるという。
 北朝鮮は、日本にある米軍基地をねらうと言っている。名護市に住んでいる人たちは標的にされかねない。現に、そのことがものすごいニュース量で伝えられている。核兵器を搭載した弾道弾(ミサイル)がとんでくるかもしれない。沖縄の人たちは、そのような危険ととなりあわせの生活を強いられている。

*「どぎゃんか止められんとか」

 御所浦に住んでいる私の知りあいがこんなことを言った。
 「子どもや親戚が盆や正月に水俣のほうから船で御所浦に帰ってくるとき、御所浦島が採石で削られ、壊れていく姿がよくみえる。『どぎゃんか止められんとか』といつも言われる。『情けんなか』と言われる」
 御所浦はそれぞれの人びとの郷土であり、いのちの故郷である。私は、そういう人たちの残念な思いがよくわかる。
 先ほど話したように、芦北のほうからみると御所浦島は涅槃像によく似ている。
 御所浦にある化石には、何億年か前の白亜紀の生き物たちが眠っている。先祖のかたがたも島に眠っている。そういう意味では、御所浦島は寝床である。そんな寝床を削って毒を埋めるとはなんということか。
 私たちはけっして人として独立しているわけではない。ほかの生き物とつながって生きている。そういう意味で、山肌が削られることについては身体(からだ)が削られるのと同じ思いをもつ。
 採石場の問題と辺野古の米軍基地建設の問題を、天草や芦北町や水俣市の人たちにどう関連づけて考えてもらうか。それが必要になっている。むずかしいテーマ性をもっているが。
 たとえば十四、五年前になるが、水俣で産業廃棄物埋め立ての問題がおこった。そのとき、反対運動がかつてない広がりをもって展開された。たたかいは何年かつづいた。その結果、業者は白紙撤回に追いこまれた。
 私もその反対運動を加勢した。自分の2トントラックにトトロの絵を描いてもらい、トトロのテーマ音楽を流しながら反対をとなえた。
 産廃業者が取り引きしている銀行にも行き、「銀行から圧力をかけてほしい」と申し入れた。そうやって撤回をせまった。

*豊かな海と山を守るために

 40年ぐらい前、パイプラインを使って水俣から御所浦に水が送られるようになった。そのとき漁師たちは、パイプラインが網に引っかかるのではないか、と心配した。しかし、「天草の人たちはみんな水不足で困っている。なんとか協力してほしい」という要請があった。それで、漁師たちも同意した。
 不知火海は外海とちがうところがある。いちばんちがうのは、沿岸の人たちが向きあって暮らしていることだ。お互いが気になる関係である。嫁に行ったり来たりという関係もある。その意味では、熊本県を超えた生活圏のなかにある。お互いがもやって生きていくという世界がここにある。
 山が壊されている、島が壊されている、ということだけにとどまらず、私たちの愛する世界が壊されようとしている。海や山の世界が壊されようとしている。私も、非力ながらみなさんといっしょに参加させていただきたいと思っている。
 不知火海は豊かな海である。私たち漁師は個人的な思いでものを言っているのではない。長い歴史のうえにたって、採石問題で声をあげている──。そういうことに自信を深めていただきたい。

(文・写真/中山敏則)
(JAWAN通信 No.120 2017年8月30日発行から転載)

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