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●BOOK

失われた北川湿地

〜なぜ奇跡の谷戸は埋められたのか?〜

三浦・三戸自然環境保全連絡会編/サイエンティスト社/2500円+税

写真15-1

 三浦半島の先端近くにたいへん貴重な低地性湿地があった。自然愛好者たちはこの湿地を「北川湿地」と名づけた。その湿地が埋め立てられてしまった。
 本書は、北川湿地の埋め立てを中止させるために続けてきた活動の記録である。発行の目的についてこう記している。「私たちは、北川湿地の消失を無駄にしないよう、自然科学として客観的な資料と保全活動の経緯を記録として残し、後世の環境保全に役立たせなくてはならない」。
 北川湿地は三浦市初声町三戸地区にあった。北川という小川が流れる谷戸(やと)に残されていた。面積は25haほどだが、神奈川県内では最大規模の湿地であった。メダカ、サラサヤンマ、ニホンアカガエル、チャイロカワモズクなど、貴重な生物の生息場所となっていた。地元の自然愛好者は、この湿地を「ミニ尾瀬」と呼んでいた。
 2006(平成18)年10月、北川湿地を発生土(残土)処分場として埋め立てる計画が表面化した。事業者は京浜急行電鉄である。そのため、自然愛好者たちは「三浦・三戸自然環境保全連絡会」を結成し、埋め立て反対の運動を繰り広げた。「やれることは何でもやろう」と、さまざまな活動をすすめた。
 京急電鉄、三浦市、神奈川県に対する申し入れや要望書提出などを繰り返した。京急電鉄本社との交渉には、私も日本湿地ネットワーク(JAWAN)の一員として参加した。
 市議会や県議会への陳情や国会議員への働きかけもおこなった。民事調停を申し立てたり、発生土処分場差し止め訴訟を起こしたりもした。さらに、建設的な事業対案として「エコパーク構想」も提示した。
 だが、必死の運動むなしく、北川湿地は埋め立てられてしまった。
 本書には、北川湿地の破壊を食い止めるための活動がくわしく描かれている。
 「鎌倉広町緑地」を守り抜いた運動との比較もされている。「鎌倉広町緑地」の保全運動では、開発に反対する住民が自治会・町内会を基盤としてたたかった。世論を喚起して開発の是非を鎌倉市長選挙の争点に持ち込み、開発反対派を当選させた。署名も22万集めた。しかし、北川湿地の保全運動はそういうことができなかった。
 この本には、自然保護運動において学ぶべきヒントや教訓がふんだんに盛り込まれている。市民運動にかかわる人にとっては必読の書である。

(中山敏則)
(JAWAN通信 No.114 2016年2月20日発行から転載)

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