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■湿地保全団体の紹介

名古屋鳥類調査会

〜藤前干潟を良好な状態で後世に引き継ぐために〜


 名古屋鳥類調査会の森井豊久代表に調査会の活動をお聞きしました。「藤前干潟の鳥のことは森井さんに聞け」と言われています。それくらい、森井さんは藤前干潟の鳥に造詣(ぞうけい)の深い方です。藤前干潟の保全がきまる前から藤前干潟や周辺で鳥の調査を続けてきました。(編集部)

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①「渡り鳥調査隊」による屋外での調査

◆鳥と干潟へのかかわり

 ──森井さんが鳥にかかわるようになったのはいつからですか。
 
 【森井】私が鳥を見はじめたのは1970(昭和45)年である。30歳だった。日本野鳥の会名古屋支部(現:日本野鳥の会愛知県支部)に入会し、探鳥会に参加しはじめた。
 その年の9月だったと思う。伊勢湾の木曽川河口周辺(通称:鍋田)で開かれた探鳥会に参加し、辻淳夫さんと出会った。辻さんも野鳥の会名古屋支部に入会されたばかりだった。
 そのころ、鍋田は埋め立てが進んでいた。浚渫した泥を干潟にどんどん入れていた。辻さんと私は、干潟が消失していくことに危機感をもった。干潟を守る運動をしなければならないと考えた。そこで、私たちは野鳥の会名古屋支部から外へ出て、「愛知県鳥類保護研究会」というグループをつくった。
 この研究会は何人かのメンバーが集まってできた。辻さんと私、そして私の友人などである。最初は鳥の観察をしたり写真を撮ったりした。そのうちに、シギ・チドリだけの調査を愛知県の沿岸全域でやろうということになった。愛知県鳥類保護研究会と東三河野鳥同好会、西三河野鳥の会、そして個人参加の人がいっしょになってシギ・チドリの調査を進めた。
 はじめは、伊勢湾の木曽川や庄内川の河口周辺の干潟に飛来するシギ・チドリをカウントすることにとりくんだ。何年かたったあと、これらの調査結果を『ちどりの叫び、しぎの夢〜伊勢湾干潟鳥類一斉調査報告書〜』という冊子にまとめた。辻さんが研究会の名でまとめた。1980年のことである。

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②「渡り鳥調査隊」による野鳥観察館内でのカウント練習

◆藤前干潟埋め立て中止に鳥類調査が貢献

 ──森井さんたちは、藤前干潟が保全される以前から藤前干潟や周辺の鳥を調査してこられたそうですね。
 
 【森井】名古屋鳥類調査会は、名古屋市が5年に1回おこなっている「名古屋の野鳥」の調査のためにつくられた。第1回の調査は1975(昭和50)年である。私は、そのときから調査をしている。2回目以降は、私がまとめ役を続けた。
 名古屋市が藤前干潟(当時の名称は西一区)の埋め立てを計画したさい、埋め立て予定地の環境アセスメントの鳥類調査を私たちに依頼した。名古屋鳥類調査会と尾張野鳥の会、野鳥の会愛知県支部で調査した。
 
 ──藤前干潟埋め立て反対運動へのかかわりを教えてください。
 
 【森井】1987年、愛知県鳥類保護研究会と野鳥の会愛知県支部、名古屋鳥類調査会、尾張野鳥の会で「名古屋港の干潟を守る連絡会」を結成し、藤前干潟のゴミ埋め立て反対活動をはじめた。この連絡会は、のちの「藤前干潟を守る会」の前身となる組織である。
 埋め立て反対運動では、私たちがまとめた環境アセスの鳥類調査結果がたいへん役だった。
 「藤前干潟を守る会」は、埋め立てを中止させるためにさまざまな活動を繰り広げた。署名集めや、分かりやすいパンフレットの作成、烏の扮装をして街中を歩く「鳥たちの大行進」などである。有名人を呼んでの講演会やシンポジウムもいろいろなところでやった。
 こうした運動によって、藤前干潟の埋め立ては中止になった。そして保存が決まり、2002年にラムサール条約湿地となった。

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③干潟の鳥の様子

◆シギ・チドリ類が減少

 ──シギ・チドリ類の飛来数は全国的に減少しているといわれていますが、藤前干潟はどうですか。
 
 【森井】藤前干潟も同じだ。昔と比べてずいぶん減っている。
 たとえばシロチドリである。1975年は藤前干潟で2280羽を数えた。その後どんどん減って、2012年は38羽となってしまった。いまは少し回復して70羽ぐらいである。
 オオソリハシシギはかつて300羽ぐらい飛来したが、いまは50羽ぐらいになっている。ハマシギは、1995年に1万1500羽を記録したが、その後減少の一途をたどった。最近の記録では700羽ぐらいである。ホウロクシギやチュウシャクシギなども減っている。
 藤前干潟に飛来するシギ・チドリ類が減っているひとつの原因は、干潟の底生生物が減ったことである。とくにゴカイの減少が大きい。

◆野鳥観察館の管理運営に参加

 ──名古屋鳥類調査会は、名古屋市野鳥観察館の管理運営にかかわっていますね。
 
 【森井】名古屋市野鳥観察館は庄内川河口に面する稲永公園内に建てられた。1985年である。指定管理者制度の導入にともない、2006(平成18)年4月からは「東海・稲永ネットワーク」が指定管理者となって管理運営している。このネットワークは、名古屋鳥類調査会と尾張野鳥の会、東海緑化(株)の三者で構成している。
 名古屋鳥類調査会は、来館者にたいする水鳥の観察案内や「渡り鳥調査隊」などを受けもっている。
 「渡り鳥調査隊」というのは、藤前干潟に生息する生き物の重要性や魅力を市民に伝えたり、干潟環境の保全にたいする関心を高めたりすることが目的である。調査は市民参加でおこなっている。庄内川河口の上流と下流、野鳥観察館前を調査する班に分かれ、それぞれの調査地点から鳥の種類を識別したり種類ごとの個体数を数えたりしている。

◆鳥のカウントを年160回

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名古屋鳥類調査会の
森井豊久代表(左)と前田崇さん

 ──森井さんは鳥獣保護区管理員もされているようですね。
 
 【森井】私は、環境省の鳥獣保護区管理員としても藤前干潟にかかわっている。藤前干潟が国指定の鳥獣保護区になって以来、管理員として毎月数回、鳥のカウントをして報告している。
 藤前干潟を守り続けるためには、鳥や環境の状況をきちんと知ることが基本となる。いちばん重要なのは、鳥の種類と個体数を正確に把握することだ。だから、名古屋市野鳥観察館で来館者の対応をしている時間以外は、鳥のカウントをしている。カウントは、すべてをあわせると年160回におよぶ。

◆藤前干潟への思い

 ──藤前干潟の今後についてどう思っておられますか。
 
 【森井】藤前干潟がラムサール条約湿地になってから13年たった。守られた干潟を良好な状態で後世に引き継ぎたい。たくさんの鳥が飛来する。そういう状況がずっと続くことを願っている。
 幸いに、藤前干潟や野鳥観察館には小学生などの子どもたちがたくさん来てくれる。「渡り鳥調査隊」にも子どもたちが参加している。これらを大事にしたいと思っている。

(JAWAN通信 No.114 2016年2月20日発行から転載)

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