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豊かな干潟を未来に残すために

〜荒尾干潟のラムサール条約登録をめぐって〜

安尾征三郎さんに聞く

ラムサール条約湿地の荒尾干潟。島原半島の雲仙普賢岳が目の前に見える

◇単一の干潟としては国内最大

 荒尾干潟は2012年7月、熊本県内で初めてラムサール条約に登録された。
 荒尾干潟は有明海の中央部東側に位置する。諫早湾の対岸である。海岸線から沖合に広がる干潟は南北約9.1km、東西の最大幅は3.2km、総面積は1656haにおよぶ。単一の干潟としては国内最大である。
 荒尾干潟は日本有数のシギ・チドリ類の渡来地となっている。環境省「モニタリングサイト1000」の調査結果によれば、シギ・チドリ類の飛来数は、2011年度冬期で全国第2位を誇る。国際的に絶滅の恐れがあるクロツラヘラサギやズグロカモメも渡来する。

◇吸気口に吸い込まれる野鳥を保護

 安尾征三郎さん(75)は荒尾干潟ラムサール条約登録の貢献者のひとりである。長年にわたり、荒尾干潟の渡り鳥や干潟の様子を見守りつづけてきた。
 安尾さんは1939年5月、中国北東部(旧満州)で生まれた。敗戦のさい、家族9人で命からがら日本に引き揚げた。6歳のときである。1955年3月、熊本県旧八代郡文政村の文政中学校を卒業すると同時に、三井三池鉱業所の鉱山学校に入学した。養成工である。鉱山学校を卒業した1958年3月、三井石炭鉱業(株)(三井鉱山の子会社)に坑内電気工として入社した。職場は三井三池炭鉱である。1960年、“総資本対総労働の闘い”とよばれた歴史的な三池争議(三池闘争)に三池労組青年行動隊として参加した。20歳のときである。
 安尾さんが野鳥にかかわったきっかけはこうだ。
 「三井三池炭鉱は、有明海の海底深くまで坑道が延びていた。その坑道に新鮮な空気を送り込むため、有明海に三池島という名の人工島がつくられていた。その吸気口から野鳥が吸い込まれ、犠牲となっていた。私は1993年7月から翌年5月にかけて、吸気口から吸い込まれて地下520mの坑底で生存している鳥を保護した。野鳥図鑑を3冊買い、保護した鳥の名前を記録した。私が保護にあたったのは10カ月という短い期間であったが、16種140羽の野鳥が再び大空に帰っていった」
 「退職直前の1994年1月に日本野鳥の会に入会した。そして、日本野鳥の会の熊本県支部と福岡支部は会社に防護柵の設置を要請した。最初は相手にされなかった。“野鳥保護なんかにコストはかけられない”とけんもほろろだった。しかし、あきらめずに要請しつづけた。次々と保護される野鳥のことがマスコミでも話題になり、社会問題となった。私は同年5月に満55歳で定年退職した。同5月、宮崎県えびの市で開かれた日本野鳥の会全国大会に参加し、三池島の野鳥保護を訴えることができた。これは画期的なできごとであった。また大牟田市議会や参議院環境委員会でもとりあげられ、一気に政治問題に発展した。同年7月、三池島でベニアジサシの繁殖を確認した。ベニアジサシは奄美大島が繁殖地の北限とされていた。このときから、日本野鳥の会熊本県支部と福岡支部は三池島調査をはじめた。こうしたとりくみの結果、同年9月に立坑の吸気口から野鳥が吸い込まれないよう、防護柵が会社によって設置された」
 

◇空港建設構想の頓挫をいちばん喜んでいるのは鳥たち

 1990年、荒尾干潟などを埋め立てて国際ハブ空港をつくる構想がもちあがった。
 「地元の経済界などが中心となって誘致団体を結成し、九州国際ハブ空港の建設候補地として名乗りを上げた。荒尾干潟をすべて埋め立てて空港をつくるというものだった。福岡でも新空港建設の議論が盛り上がりを見せはじめた。だが、国際ハブ空港の整備について、『日本には適当でない』との考え方に百八十度転換する方針が出された。2004年には、最終候補地に決定した玄海東地区(福岡県)も白紙になった。九州国際ハブ空港建設構想は失速し、2005年に休止状態になった。そして今、荒尾干潟のラムサール条約湿地登録によって頓挫(とんざ)となった。それをいちばん喜んでいるのは鳥たちである」

◇荒尾の宝物

 諫早湾が閉め切られた翌月の1997年5月、日本野鳥の会の4支部(長崎県、佐賀県、福岡・筑後、熊本県)は合同で「有明海水鳥調査」をはじめた。調査の目的は、諫早湾閉め切りによる鳥類への影響を調べることである。また、調査結果を有明海の保全・再生策に活用することである。安尾さんもこの調査に参加した。調査は2005年1月までつづいた。同年6月、調査結果を『有明海水鳥調査報告書』としてまとめた。
 安尾さんたちはこの年の11月、地元荒尾市の前畑淳治市長(当時)を訪問し、同報告書を届けた。環境省の「モニタリングサイト1000 シギ・チドリ類調査」における荒尾海岸のデータも添付した。
 翌月の庁内定例部課長会議で前畑市長はこう述べたという。
 「『有明海水鳥調査報告書』および『モニタリングサイト1000 シギ・チドリ類調査』によれば、2004年の春は荒尾海岸が日本で2番目に多くシギ・チドリ類が渡来しているという。自分は60年間地元に住み、海岸を毎朝散歩しているが、そのことを知らなかった。こんなに恥ずかしいことはない。荒尾海岸は荒尾の宝物である」
 市長は定例の記者会見でも同じことを述べたそうである。安尾さんは言う。
 「その後のさまざまな調査結果から、荒尾干潟はラムサール条約の登録条件を満たしていることがわかった。そこで、荒尾干潟をラムサール条約湿地にするため、いろいろなとりくみをおこなった。干潟の観察会を定期的に開いた。バードウィーク野鳥写真展や荒尾干潟写真展などさまざまな催しを利用し、荒尾干潟のすばらしさをアピールした。荒尾市や熊本県、環境省への働きかけもつづけた。荒尾市議会でもラムサール登録推進をとりあげてもらった。日本野鳥の会の柳生博会長やWWFジャパンなどの協力や支援も得た。その結果、ラムサール登録の気運が高まり、ついに2012年7月、ラムサール条約第11回締約国会議で登録が実現した」

◇課題

 荒尾干潟もいろいろと課題をかかえている。
 「課題のひとつはビジターセンターの建設である。現地にトイレがないため、観察会などで支障をきたしている。ビジターセンターの用地は確保されているので、私たちはその早期建設を求めている。また、荒尾市の担当部署が縦割りになっていることも支障となっている。そこで、荒尾干潟の保全や利活用を検討する横断的な庁内組織の設置を求めている。このほかに、行政・環境団体・観光協会・ボランティア団体などの情報共有(ネットワーク)や干潟案内人の確保・育成、案内板の設置なども求めている」
 最後に安尾さんはこう述べた。
 「有明海は、以前に比べて環境がかなり悪化している。野鳥が一定の渡来数を保っている今のうちに、有明海の環境保全と再生を真剣に考える必要がある。また、干潟を守るには、海に流れてくる川や、その水を育む山や森も同時に保全していかねばならない。市民全体の運動として盛り上げていくことが重要となっている」

(聞き手・編集部) 

■安尾征三郎(やすおせいざぶろう)さん

 1939年に中国東北部(旧満州)で生まれ、6歳のときに熊本県旧八代郡文政村(現八代市)に引き揚げた。1955年3月文政中学校卒業。1955年4月三井三池鉱業学校(鉱山学校)入学。1958年3月三池炭鉱四山坑に坑内電気工として入社。1960年三池争議に三池労組青年行動隊として参加。1994年1月日本野鳥の会に入会。1994年5月満55歳で定年退職。2012年、野生生物保護の功績を評価され、環境省自然環境局長賞を受賞。現在は、日本野鳥の会熊本県支部荒尾玉名地区幹事、三池島アジサシ類調査委員会委員長をつとめている。熊本県荒尾市在住。

安尾征三郎さん

(JAWAN通信 No.110 2015年2月28日発行から転載)

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