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■ラムサール条約湿地の現状と課題

藤前干潟

NPO法人 藤前干潟を守る会 梅村幸稔

◇2002年にラムサール条約登録

 藤前干潟は伊勢湾の最奥部にある。庄内川、新川、日光川の3河川が合流する河口部に位置し、潮が最も引いたときには238ヘクタールという広大な干潟が現れる。
 かつて、藤前干潟は消滅の危機に瀕(ひん)していた。名古屋市が1981年、干潟を埋め立ててごみ最終処分場を造成する計画を打ち出したためだ。「藤前干潟を守る会」は埋め立て反対運動をねばりづよくつづけた。環境庁(現環境省)も埋め立てにストップをかけた。その結果、名古屋市は1999年1月に埋め立て計画を断念した。そして2002年11月、ラムサール条約湿地に指定された。

藤前干潟略図

◇干潟の環境変化

 藤前干潟の保全は、ラムサール条約登録後も課題をいくつもかかえている。ここでは3つあげる。
 ひとつは干潟の環境変化である。2000年9月、東海豪雨によって庄内川があふれ、甚大な浸水被害が発生した。そのため、国交省が庄内川と新川の河床を掘り下げた。掘り下げ工事は2年近くつづいた。川底の砂などが舞い上がらないように遮蔽(しゃへい)ネットで覆って作業していたが、かなりの量の砂泥が流れ出て干潟に堆積した。以来、藤前干潟はゴカイやカニ、ヨコエビなどの底生生物がかなり減った。ちなみに、浚渫した土砂を干潟西側の深み(深掘跡)に入れたため、穴の深さがだいぶ浅くなり青潮の発生頻度はかなり減少している。
 また、河道整備によって庄内川と新川の流量が増えた。流れも速くなった。そのため、新川に面した干潟東側は粒子の細かい泥が沖へ流されやすくなり、砂の堆積が目立つようになってきた。ヤマトカワゴカイ(藤前干潟にたくさん住んでいたゴカイの仲間)は、現在にいたってもほとんど回復していない。アナジャコも激減し、一時は潰滅状態になった。
 底生生物が激減したため、水鳥の飛来数も減った。ハマシギはかつて数千から万の単位で飛来していたが、いまは最大で2000羽くらいにとどまっている。ひどいときはゼロになるときもある。

藤前干潟観察会

◇施設の管理運営

 つぎは藤前活動センターと稲永ビジターセンターの管理運営である。両センターは環境省の施設である。2005年3月にオープンした。その管理運営は、環境省からの業務請負により「NPO法人 藤前干潟を守る会」がおこなっている。基本的に環境省の担当部署(中部地方環境事務所名古屋自然保護官事務所)と打ち合わせをしながら企画や運営をしている。環境省との取り決めにより、センターでの販売行為は禁止されている。
 業務請負契約は、基本的に1〜2年ごとに企画競争入札により締結している。藤前干潟をこれまで守ってきた会の責任として、センター施設を活用し多くの人に藤前干潟の魅力を伝えていきたいが、国の機関の施設なので「守る会」の業務請負がつづくかどうかはわからない。
 また、「守る会」のメンバーが2つのセンターに2人ずつ専従で勤務している。他の環境省の施設は地元自治体との連携で協議会方式によりセンター施設を運営しているため、協議会で運営費を出資するケースが多い。しかし藤前干潟の場合は、環境省単独で運営費を出資するため予算規模が小さくなっている。さらに少ない予算で藤前と稲永の2センターを運営している。そのため勤務者の給与はアルバイト並みとなっていて、生活していくのはかなり厳しいのが現状である。

◇人材確保

 そして3つめは人材確保である。「守る会」は、ボランティアガイドの主役となる「ガタレンジャー」の養成を2003年からつづけている。藤前干潟を案内したり、干潟の生き物などを解説したりする人を増やすことである。
 ガタレンジャーは100人を超えた。だが、じっさいに動いているのは20人くらいである。ほかの活動とかけもつ人が多く、藤前干潟のガイドをメインに実働するガタレンジャーは10人程度である。大学生は卒業すると多くが県外に就職することもあり、いまのところ就職後にガタレンジャーとして復帰した大学生はいない。高齢者は、手伝いはできるが一人では動けないという人が多い。専門的なことが分からないということや、そこまで前面に出たくもないという遠慮があると思う。
 このような問題をどうするかが大きな課題となっている。

(JAWAN通信 No.109 2014年11月30日発行から転載)

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