トップ ページに 戻る

報告:シンポジウム「諫早を考える」

牛野くみ子 (千葉の干潟を守る会副代表)

 9月5日(土)、日本湿地ネットワーク(JAWAN)の年次総会が諫早市「高城会館」で開かれ、総会終了後、日本湿地ネットワーク・諫早干潟緊急救済本部主催のシンポジウム「諫早を考える」に参加しました。シンポジウムは午後2時より始まり参加者は80名位でした。 1)シンポジウム漁民の方
次々と会場より発言

 主催者辻淳夫代表と山下八千代代表の開会あいさつの後、最初は、鹿児島大学佐藤正典教授の基調講演で、演題は「故山下弘文氏と歩いた諫早湾の美しい泥干潟」です。
  佐藤先生は1994年の春、初めて故山下弘文さんと諫早干潟を歩いたそうです。潮が引くと泥干潟は水平線の彼方まで広がり、手に取るとふんわりと柔らかく、まるでソフトクリームのような心地よさだった。それは全くくさくなく自然が生み出す生きた泥だった。そしてその泥の中からゴカイ、カニ類を見つけた。中でも、泥干潟だけに生息している「アリアケカワゴカイ」は目が三つあってとても可愛いんですと。聞いている私たちもなにやら泥干潟の美しさに引き込まれ穏やかな気持ちにさせられました。
 現在は潮受け堤防で閉めきられてしまった湾だけど、堤防内に海水を入れて潮汐を戻せば干潟は生き返り、堤防外に生き残っている種が入ってくる。そしてその美しい泥干潟を見るために世界中から人がやってくるだろうと。泥干潟の持つ重要性と美しさを、そして未来を明るく語ってくれました。
  次に干拓事業の現況報告を地元の時津良治さんが、これまでの経緯と現状を報告されました。現在、干拓農地で営農が始まっているが、調整池ではアオコが発生している。一方、諫早湾海域では、赤潮が発生、養殖アサリの大量死など、漁民の死活問題もある。農業も漁業も両立できる解決策が望まれると話してくれました。
 特別出演は「ムツゴロウ ラプソディ」大阪出演者有志による歌とダンスです。かつての諫早湾の「いのちのにぎわい」を彷彿とさせるミュウジカルでした。何しろ若くてぴちぴちした方達が目の前で歌い踊る、15分と短い時間でしたが素晴らしかったです。
 各地の報告と参加者懇談では、神奈川県三浦市の北川湿地の横山一郎さんが「京浜急行電鉄により三浦半島の豊かな湿地が残土により埋め立てられる。建設中止に持って行くため皆さんのご支援をいただきたい」と訴えました。和白干潟の山本廣子さんは、和白干潟を守る会が活動を始めてから20年になること、干潟や鳥を通じて多くの人との出会いがあったことなどをスライドで話してくれました。
 中でも心に残ったのは、諫早市小長井町の漁民5人の方が発言してくれたことです。そして口々に、有明海の異変は、諫早湾の閉め切りが原因だ。干潟の大切さについて、あまり考えたことはなかったが、閉め切られてから初めて干潟の大切さが分かった。何としてでも、排水門の開門調査をしてもらい、かつての海を取り戻したい。今回、政権交代となり、一筋の光明が見えた。みなさん頑張りましょう、と言ってくれたことです。凄く感動しました。
 翌6日(日)は干拓農地を見学しました。案内は時津さんです。何しろ広い。そして白っぽい。こんな土で作物は出来るのかなというのが第1印象です。中央干拓農地は550ha、小江干拓農地は88haあるそうです。タマネギが収穫され箱に入っていました。耕作されていない所にはハイガイの死骸がありました。調整池はものすごいアオコ発生です。営農者は10aあたり、当初の5年間は15,000円の借地料です。1区画が6haですから年90万円の借地料。元は取れるのかなーと心配してしまいました。この諫早干拓というのは農業者にとっても、漁民にとっても罪の深いものです。
 300年以上前から干拓はされてきました。しかし、今回は何十年かかる干拓を一時期にやってしまったことに問題があるのです。その広さたるや驚きです。人間の愚かさを実感します。今後は排水門を開門し、再び美しい泥干潟を見ることが出来、漁業がにぎわうことを願います。既に入植された方のことも考えねばなりません。まったく愚かなことをしました。
2)営農が始まった干拓農地 width=
干潟は営農地へ変わってしまった


>> トップページ >> REPORT目次ページ