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諫早湾の美しい泥干潟

佐藤 正典 (鹿児島大学理学部教授)
 
 「海は広いな大きいな」。
 でも海底の大部分は、深くて、真っ暗闇。そこは生物が乏しい砂漠のような世界(海の平均水深:3800m)。太陽光が届く陸のまわりの浅い海にこそ生物がたくさんすんでいる。河口の干潟は、生物生産力がとりわけ高い所。そんな豊かな世界は、広い海全体のごく一部だけに限られる。

砂干潟と泥干潟

 干潟は、底質粒子の違いによって、砂干潟と泥干潟に大まかに分けられる。アサリやハマグリが多産する砂干潟では、その清冽さに魅了される。
 一方、ハイガイやアゲマキが多産する泥干潟には、「濁り」がもたらす独特の豊かさがある。日本の内湾は、その両方に恵まれていた。それによって内湾の高い漁業生産力が維持されてきた。
 日本人は、昔からその恩恵を受けてきた。縄文時代の貝塚からは、砂干潟の貝も泥干潟の貝も両方見つかる。しかし、今日、多くの干潟は失われた。とりわけ、泥干潟の消失、劣化は著しい。泥干潟は、内湾奥部の河口域上部に発達しやすいからだ。そこは都市開発や汚染など人間活動の影響を最も強く受けるところである。
シンポ18(佐藤先生)
講演する佐藤正典教授

有明海の広大な干潟

 有明海の干潟面積(日本の全干潟の約 4 割)は、日本の内湾中で最大である。九州一の大河川である筑後川などの流入によって、大量の砂泥が供給されていること、干満差が日本一大きいこと(大潮時最大で 6m 以上)、そして、内湾地形が遠浅であること、これらの「天の恵み」が広大な干潟を生み出している。そのうち、砂干潟は、主に東岸(熊本県沿岸)に発達し、泥干潟は、主に奥部(佐賀県から諫早湾沿岸)に発達している。これはなぜか。
 主な河川のほとんどは、有明海の東岸に流入しており、阿蘇山系の砂泥粒子を運んでくる。その砂泥が、毎日の強い潮汐と有明海全体の半時計回りの水の動き(恒流)によってふるい分けられ、主に東岸に砂が、奥部西側に泥が堆積するのである。
 この水の動きによって、最も細かい泥の粒子が最も遠くまで運ばれて堆積した所、それが諫早湾の泥干潟であった。それゆえ、ここの泥は他のどこよりもきめ細かく軟らかだった。
有明海の干潟の底質による区分
有明海の干潟の底質による区分

 諫早湾での出会いと別れ

 1994 年春、私は、初めて山下弘文さんにお会いし、諫早湾の干潟を案内していただいた。それ以来、私たちは、何度も干潟に通い、宝探しのように泥を掘り返し、珍しい種を採集した。潮が引くと、泥干潟は水平線のかなたまで広がった。
 地元の人が「ガタ」と呼ぶその泥を手に取ると、ふんわりと柔らかく、ソフトクリームのような心地よさだった。「ヘドロ」とは異なり、全く臭くない。それは、人間の汚染とは無縁の、自然の恵みが生み出した「生きた泥」なのだ。泥の中からは、さまざまな貝類、カニ類、ゴカイ類などが見つかった。
 秋には、特産の塩生植物シチメンソウが美しく紅葉し、その先にはおびただしい数の渡り鳥が群れていた。寒い冬の調査では、「カキ小屋」に寄るのが楽しみだった。たき火にあたりながら、泥干潟に生息する特産カキ(シカメガキ)を焼いて食べるのである。普通のマガキよりも小さいが、はるかに美味だった。
 しかし、湾を閉め切る全長 7km の堤防の工事が少しずつ進み、ついに、1997 年 4 月、湾が完全に閉め切られた。干潟の上部は干上がり、その下部は淡水のよどんだ池(調整池)になってしまった。おびただしい干潟生物が、調査不十分のまま全滅した。
 内湾の富栄養化を抑制する水質浄化の場であり、魚介類の産卵保育の場としても機能してきたこの干潟生態系の破壊は、有明海奥部の漁業(魚介類生産力)に壊滅的な打撃を与えた。

諫早湾と瀬戸内海、名古屋、ウィーンを結ぶ糸

 私たちは、諫早湾と有明海最奥部(佐賀県から福岡県大牟田市)の泥干潟だけに生息している特産のゴカイ(アリアケカワゴカイ)を発見した。それは、失われた諫早湾干潟に最も多かった。最近の調査によって、このゴカイがかつては瀬戸内海や伊勢湾にも生息していたことがわかった。
 岡山県児島湾と名古屋(熱田神宮前)の干潟から採集された100 年以上も前の標本が、東京とウィーンの博物館に残っていたのだ(これらの干潟は干拓や埋め立てによってすでに消滅)。
 有明海奥部の泥干潟は、日本中で生息場所を奪われた多くの種(アリアケカワゴカイ、ハイガイ、シチメンソウなど)が今なお生き残っている場所だったのである。諫早湾はそんな生物の宝庫だった。そこが失われた今、泥干潟特有の多くの種(日本の個体群)は、絶滅の危機に瀕している。

泥干潟でのみ生息する、アリアケカワゴカイ

韓国スンチョン干潟:諫早湾のもう一つの選択

 今、諫早湾の閉め切り堤防内に海水を入れて潮汐を戻してやれば、干潟は生き返るだろう。堤防の外にかろうじて生き残っている種の幼生が潮に乗って入ってくるからである。何年先になるかわからないが、今干上がっている場所にも、やがてはムツゴロウやシチメンソウやアリアケカワゴカイが帰ってくるだろう。こうして多くの種の絶滅が回避されれば、将来、日本中に元来の泥干潟の生態系を復元できるかもしれないという希望をつなぎとめることができる。
 諫早市は、環境復元のシンボルとなり、その美しい泥干潟を見るために、世界中から人がやってくるだろう。さらに、諫早湾の干潟生態系の復元は、危機にひんした有明海奥部の漁業の再生のために大きな効果をもたらすだろう。
 韓国南部のスンチョン市では、市長が先頭に立って、干潟を保全、あるいは復元する政策を強く進めている。その干潟は、閉め切り前の諫早湾によく似た泥干潟であり、その上部は、シチメンソウやヨシ原に広く覆われている。そこには木道が整備され、年間 290万人もの見学者が訪れている。
 諫早湾にもこのような選択肢があったはずだ。その道は、まだ閉ざされたわけではない。

(JAWAN通信 No.94 2009年9月25日発行から転載)

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