蕪栗沼と周辺水田の登録を祝って

辻 淳夫(日本湿地ネットワーク代表)

 カンパラ会議からの報告を心に抱えたまま、夜行バスで、雪の宮城県田尻町へ行った。「蕪栗(かぶくり)沼と周辺水田」のラムサール登録を祝い、今後の湿地保全を考える集いに、日本湿地ネットワークとして協力したからだ。
 私は2日目午前のプログラムから参加したが、まず、地元の小学生の群読劇や、高校生の生きもの調査、美唄市(宮島沼)や豊岡市(コウノトリの里)の子どもたちの発表に感動した。普通はイベントの添え物という感じなのに、ここでは、子どもたちが必要なことをすべて感得していて、50年先にあなたはどうしていると思いますか?という司会の問いかけに、“ラムサール登録で気づいた地域の自然の価値を活かし、50年後にも変わらず鳥たちと共に生きています”と、誇りと自信を持って答えていた。

子どもたちによる群読劇 土産土法交流会

 夜の懇親会では、有機農業者も全国から集まっていた。冬の田んぼに水を入れ無耕起で栽培すると(近代農法では乾田とし、多量の肥料を施してきた)イトミミズなど多様な生物のはたらきで雑草の発生を押さえ、稲を強くして肥料なしに生産性が向上するという。古文書にも「田冬水」として推奨されていた伝統農法を再現し、地域の文化を見なおし、田尻から日本を変えていこうと盛り上がっていた。
 つい数年前までは、雁の「食害」問題があって水田の登録は難しいと言われていたのに、呉地さんや蕪栗ぬまっこくらぶの活動で、渡り鳥と農業が共生できること、登録でお米に付加価値がつくなどプラス面が理解され、反対から推進へと劇的な転換があったようだ。
 藤前ではシギ・チドリとゴミに教えられたのだが、ここでは大人たちは雁と子どもたちに教えられたのだろう。日本で初めての水田の登録が、単に、雁の渡来地を保全するだけにとどまらず、「ふゆみずたんぼ」の力も合わせて、日本の農業を持続的なものに変えてゆく重要な契機になったことを思うと、ラムサール条約の理念に、社会を変えてゆく大きな力があることを改めて実感した。
 そして、蕪栗沼・周辺水田の登録は、韓国会議(2008年COP10)で、アジアモンスーン地帯の代表的湿地である水田の価値と役割を世界にアピールするねらいもあり、それが、登録地倍増を目指して設置された「ラムサール条約湿地検討会」での委員発言から始まったことを知り、呉地さん(日本雁を保護する会)のご努力に敬服し、柏木さん、浅野さんを中心にJAWANがカンパラでそれを支援してきたことを喜んでいる。

早朝のガンの飛び立ち(蕪栗沼)

 しかしその一方、これまで長年にわたり、地域の住民、NGOやJAWANが求めてきた重要な湿地の登録はほとんどが見送られた。当初は候補に上がった三番瀬や和白干潟、有明海などはいつか消え、世界的に貴重な泥炭湿地で、一昨年の国際湿地シンポジウムで期待されながら候補にも挙げられなかった中池見、破壊の危機を免れて登録を待つ汐川干潟や、浜甲子園、渡良瀬遊水地も見送られた。今なお理不尽な開発が強行されている諫早(有明海)や泡瀬干潟など、開発とせめぎあうところは「地元の賛意なし」で外れ、COP6のブリスベン会議で日本がイニシアチブを取り、シギ・チドリ渡来地ネットワークにはじめて登録したことを誇っていた吉野川河口も、道路開発のなすがままにされている。
 私たちは、多様な20カ所の新規登録への努力を評価しながらも、ここで取り残された湿地のことを忘れるわけにはいかない。とりわけ、次回開催地の韓国では、諫早をモデルに、10倍規模のセマングム干拓事業が進められ、その当否が国論を分けながらも、閉め切りが近いという。その後に予想される有明海同様の大きな環境劣化をどうするのか、COP10までに私たちは何をするべきか、日本にとっても試練の時がくるだろう。
 ラムサール条約湿地検討会では、日本の、アジアにおける重要な役割から、新規登録地の選定だけでよいかと指摘されながら、そうした本質的な問題や、日本の湿地政策全体を議論する時間はとれなかったようだ。そこで、JAWANとしては、3月1日の最後の検討会で、必要な議論が引き継がれる[場]づくりが検討されるよう、つぎのように要望した。
1.この検討会は、ラムサール条約の日本における運用に関して議論した初めての第三者組織であったといえるが、「登録地倍増」に議論が限定されたかと思われるので、この機会に、今後の日本の湿地保全政策について、総合的、継続的に議論する「場」をつくることを、ご審議いただきたい。
2.その「場」は、学識経験者だけでなく、関係NGO/NPO、農漁民、市民や関係省庁など、広く日本の湿地保全や修復に関する当事者が参加し、「ボトムアップ」と「協働」の精神で、総合的、根本的な議論が、公募公開の原則でできるものとする。
3.この[場]の基本的な議題としては、
 (ア)戦後60年の節目に、日本の湿地と国土環境の現状を把握しなおす。
 (イ)環境庁の発足とラムサール条約35年の環境行政と湿地政策を振り返る。
 (ウ)ラムサール条約の意義を再確認し、生態系のはたらきを活かした、ゆたかで持続的な社会をとりもどすための日本の湿地政策、法制度を考える。

 釧路や三番瀬の事例が教える「自然再生」という名の新たな公共事業にも要注意だ。
 こうした多くの課題を抱えながらも、今、ラムサール条約が飛躍的に浸透しつつあることも確かだ。全国各地での盛り上がりを想定して、対応を用意していく必要もあるだろう。
 日本では、鳥獣保護区設定などの担保があることを前提とする環境省の政策があるため、「水鳥保護の条約」という誤解も根強くあるが、条約の理念が、そんなに小さなものではなく、持続型の農業や漁業をささえ、私たちの生存基盤である水でつながる生態系のはたらきを活かすものとの、正しい理解も広がっている。
 汐川干潟が開発を免れて保全され、ラムサール登録を準備されながら進めなかったのは、当初、後背地水田を含めようとして、農家の反対があったからと聞いていたが、その杉山地区は、今や、ラムサール登録で村おこし、街づくりを、という気運に変わっている。
 その汐川と半島の尾根を超えた太平洋岸表浜(おもてはま)では、ウミガメの保護活動から、雄大な自然を活かすために、この1月ラムサール登録をめざすシンポジウムを開いた。地域の悩ましい問題として半島源流部農地での産廃投棄があるが、汐川と表浜、その間の半島源流部一帯にラムサール条約の理念を広めることが何よりの対策になるだろう。
 これからは流域の視点を持つことが必要だ。藤前から、かつてのゆたかな伊勢湾をとりもどそうと結成された、伊勢・三河湾流域ネットワークでは、広域市民調査「海の健康診断」が「森の健康診断」へと進展した。次は川や里(街)の「健康診断」も考えられている。その合言葉は、「伊勢湾丸ごとラムサール」だ。

(JAWAN通信 No.84 2006年3月25日発行から転載)